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見出し | 持統天皇 10/12 | ||||||
歴史関係 2006/10/12,18:21:23 |
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持統天皇(じとうてんのう)っていうのは、女性の天皇。 お父さんは645年に「大化の改新」を起こして、蘇我入鹿(そがの いるか)を殺した、天智天皇(中大兄皇子)といえば、「ああー」と思う人も多いはず。 彼女のお父さんは、蘇我氏を滅ぼした人であるわけなんだけど、なんの因果か、彼女のお母さんは蘇我氏の娘なんだよね。 だから、持統は、自分が天皇になることで、蘇我氏の血統(母方の血筋)を脈々と天皇家に伝えることになったんだ。 持統の旦那さまは、天武天皇。 でも、彼女が嫁ぐ前に、すでに彼女のお姉さんである太田皇女(おおたのひめみこ)が妃になっていたの。(姉妹で嫁ぐなんてすごいよね) まあ、天武天皇という人、昔の天皇の常識にもれず、その他にもたくさん妃がいた人みたいなんだけどね。 で、太田皇女には大津皇子(おおつのみこ)という息子が、持統には、草壁皇子(くさかべのみこ)という息子がいたわけ。 大津皇子ができがよかったのに比べ、草壁はちょっとできが悪かったみたい。 持統としては息子がかわいいわけで、草壁を天皇につけるために、邪魔な大津を謀殺しちゃいます。(こわー) でも、草壁はそんな苦労までしたのに夭折。 しかたがないので、今度は草壁の忘れ形見である、孫の軽皇子(後の文武天皇)を皇位につけるため奮闘。 ほんとにエネルギッシュな女性。 旦那の天武天皇も、彼女を政治的パートナーとしては認めていたようだけど、おそらく女性としては、そうでもなかったのかな。 女性がさびしさを紛らわせるのに、仕事に燃えるのはよくある話。 最後に、小倉百人一首にある持統天皇の歌を。 「春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」
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