ゆめみるあんぽがき日記 2006年以降分 2005年までの分はこちら |
こっちも見てね→ゆんゆらんど(本の紹介) | ←気に入ったら押してね |
見出し | 藤原道綱母 10/16 | ||||||
歴史関係 2006/10/16,5:35:01 |
|||||||
管理用 |
全ての記事(424) 2012年(1) 2010年(42) 2009年(68) 2008年(49) 2007年(101) 2006年(163) 映画(9) 鳥(60) グルメ(63) おやつ(44) その他(138) ドラマ(6) 折り紙(1)
料理(11) 旅行(13) 読書(10) 空(8) 海のエジプト展
|
藤原道綱母。 「蜻蛉日記」の作者。また、藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の妻の一人。(ほかにもたくさんいたからね) 藤原兼家は、栄耀栄華を極めた人物として有名な藤原道長のお父さん。 平安時代の女性というのは、自分の名前が残らないのがさびしいよね。 息子の名前でしか、自分の存在が残らないなんて。 彼女の姪は、「更級日記」の著者で有名な藤原孝標女(ふじわらのたかすえのむすめ)。 やっぱり、お父さんの名前で表記されちゃってる。 藤原道綱母は、エリート貴族である兼家をゲットしたものの、夫婦生活はあまりラブラブじゃなかったらしい。 晩年は兼家の足もほとんど遠のいてしまったみたいだし、彼に対するグチを著書の「蜻蛉日記」にこぼしてる。(かなりグチっぽい) あと、本朝三美人の一人と言われ、中古三十六歌仙の一人でもあり、いわゆる才媛だったから、きっとかなりの自信家だったわね。 でも、そのツンツンしたところが、兼家とうまくいかなかった原因じゃないかしら? 小倉百人一首に、「嘆きつつ 独りぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる」という彼女の歌が入ってるの。 ちっとも訪ねてこない兼家へのうらみごとの歌なんだけど、この歌を見ても、美と才能に恵まれていたのに、幸せじゃなかったんだなーと思う。
|
1053813