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  見出し 藤原道綱母 10/16

歴史関係 2006/10/16,5:35:01


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藤原道綱母 10/16

間人皇女 10/15

徳川昭武 10/13

持統天皇 10/12



藤原道綱母

「蜻蛉日記」の作者。また、藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の妻の一人。(ほかにもたくさんいたからね)

藤原兼家は、栄耀栄華を極めた人物として有名な藤原道長のお父さん。

平安時代の女性というのは、自分の名前が残らないのがさびしいよね。

息子の名前でしか、自分の存在が残らないなんて。

彼女の姪は、「更級日記」の著者で有名な藤原孝標女(ふじわらのたかすえのむすめ)。

やっぱり、お父さんの名前で表記されちゃってる。


藤原道綱母は、エリート貴族である兼家をゲットしたものの、夫婦生活はあまりラブラブじゃなかったらしい。

晩年は兼家の足もほとんど遠のいてしまったみたいだし、彼に対するグチを著書の「蜻蛉日記」にこぼしてる。(かなりグチっぽい)

あと、本朝三美人の一人と言われ、中古三十六歌仙の一人でもあり、いわゆる才媛だったから、きっとかなりの自信家だったわね。

でも、そのツンツンしたところが、兼家とうまくいかなかった原因じゃないかしら?

小倉百人一首に、「嘆きつつ 独りぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる」という彼女の歌が入ってるの。

ちっとも訪ねてこない兼家へのうらみごとの歌なんだけど、この歌を見ても、美と才能に恵まれていたのに、幸せじゃなかったんだなーと思う。

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