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見出し | 竹御所 10/19 | ||||||
歴史関係 2006/10/19,5:34:49 |
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竹御所(たけごしょ)。 鎌倉幕府二代目将軍、源頼家(みなもとの よりいえ)の娘。 竹御所、なんというか、身内に縁の薄い人だなー、と思いました。 お父さん(頼家)もお母さんも、お兄さんたちまで時の権力者であり、執権でもあった北条氏の手にかかり、無残な死をとげていくの。 竹御所も男子であれば、一緒の運命だったと思う。 でも、女の子だったから、殺害の憂き目にはあわずにすんだんだね、きっと。 お父さんである源頼家は、初代将軍の源頼朝(みなもとの よりとも)と北条政子(ほうじょう まさこ)の息子だったんだけど、母の実家である北条氏より、乳母の実家である比企氏(ひきし)を頼ってたわけ。 それって、北条氏にとっては面白くないよね。 将軍が、比企一族を頼っていたのでは、下手すると比企氏に権力の座を奪われかねないし。 北条氏はさ、初代将軍の源頼朝(みなもとの よりとも)が死んだ後、自分たち一族の権力の足場を踏みかためるのに、必死な時期だったんだよね。 その結果、比企一族を滅ぼし、言うことをきかない将軍、源頼家は、幽閉したあげく殺害しちゃったの。 比企氏の屋敷にいた竹御所は、北条政子のもとで養育されることに。 政子にとってみれば、孫だもんね。 政子としては、自分の後継者として育てたみたい。 28歳の時、15歳年下の四代目将軍藤原頼経(ふじわらの よりつね)と結婚。 当時としては、すっごい晩婚だけど、政治的な意味あいでは、源氏の直系の姫と将軍との結婚は意味があったんだろうな・・・。 で、33歳で妊娠するんだけど、さすがに当時としては高齢出産もいいとこ。難産で、竹御所は亡くなってしまう。 お腹の赤子も、死産。 男の子だったんだって。これで、ほんとに源氏の嫡流は途絶えてしまったんだね。
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